目次
・そもそもパレスチナってどこ?
・パレスチナの歴史
・ユダヤ人迫害の歴史
・ユダヤ人の歴史
・イスラエルとパレスチナの関係(~現代)
・そして社会に問われるのは
■そもそもパレスチナってどこ??

上部の地図で黄色く塗られている部分がイスラエル、緑で塗られている部分がパレスチナになります。
実はパレスチナとは正式な国ではなく、昔から地中海の一番東の沿岸の土地のことをパレスチナと呼んでいました。
そして、その地域が現代においては独立国家になるべく奮闘しています。
■パレスチナの歴史

時は2000年以上も前、パレスチナにはユダヤ人の王国がありました。
しかしその王国はローマ帝国に滅ぼされてしまい、そこに住むユダヤ人は世界各地に散ることになります。
このことを「ディアスポラ」と呼びます。
その後、その土地にはアラブ人(今でいうパレスチナ人)が住み続けることとなりました。
しかし散り散りになったユダヤ人は差別や迫害に苦しめられることになり、特にヨーロッパではその傾向が顕著になります。
■ユダヤ人迫害の理由

・ユダヤ教とキリスト教の関係
ユダヤ教は厳しい戒律を守ることで神に救われると説きます。
それに対し、キリスト教では神に救われるために必要なのは戒律ではなく、「愛である」と説きます。
ユダヤ人はこれを受け入れず、キリスト教で救世主とされる「イエス・キリスト」を処刑してしまします。
後にキリスト教はヨーロッパを中心に波及することとなるのですが、ここでユダヤ人は「イエスを十字架に掛けて殺した罪人」として扱われ、差別や迫害の対象になります。
また、中世ヨーロッパではお金を貸して、利息を受け取るという商売がいやらしいものだとされていました。
ユダヤ人はこういった仕事に就かざるを得ませんでしたが、金融業の需要が増すにつれて「ロスチャイルド家」のような莫大な資産を築く者も現れました。
しかし現地民はこれをよく思うはずもなく、ユダヤ人が富を握っていることに対する妬みがさらに差別や迫害を加速させることとなりました。
■ユダヤ人の歴史
①シオニズム運動(19世紀以降)
ユダヤ人に対する迫害が続く中、19世紀以降に祖国に戻ろうとする運動が盛り上がります。
これを「シオニズム運動」と呼びます。
②イギリスの三枚舌外交

16世紀以降、パレスチナの土地はオスマン帝国(トルコ)が支配していました。
20世紀前半、第1次世界大戦が始まるとイギリスはそのオスマン帝国と敵対します。
そこでイギリスはオスマン帝国の支配下にあったアラブ人が独立したそうにしている所に目をつけました。
イギリスは「アラブ人に反乱を起こさせ、内側からオスマン帝国を崩壊させよう」と考えたわけです。
そこでアラブ人達に「オスマン帝国が崩壊したらこの土地をアラブ人の国として使っていいよ」と言うわけです。
一方で、イギリスはユダヤ人の資金力にも目をつけます。
そこでユダヤ人に「お金出してくれたらパレスチナにユダヤ人国家作らせてあげるよ」というわけです。
しかし、さらにもう一方で、イギリスはフランスと「オスマン帝国崩壊後は領土を山分けにしましょう」と約束していたのです。
結局、第1次世界大戦後にオスマン帝国の領土はイギリスとフランスが分割しました。
その後人為的に国境をひかれた各国が独立をしたため、民族・宗教的な対立が現代まで残ることとなります。
今のアラブ世界の紛争や混乱はここに大きな原因があるわけです。
③ナチス・ドイツによる虐殺

1930年以降ナチス・ドイツによる「ホロコースト」により、600万人ものユダヤ人が虐殺されました。
この惨劇に対する同情もあり、1947年国連は「パレスチナ分割決議」を採択します。
これにより、パレスチナにアラブとユダヤの2つの国家ができることになったのです。
④イスラエル建国

1948年、ユダヤ人がイスラエル建国を宣言します。
しかしながら、土地を勝手に奪われたパレスチナ側は猛反発します。
そして周辺のアラブ諸国はイスラエルに一斉攻撃を仕掛けます。
これが「第1次中東戦争」です。
戦争はここで終わることはなく、「第3次中東戦争」を機にイスラエルは国際法上、認められていない
部分まで占領を始めました。
これを機に、イスラエルは世界中から「被害者」ではなく、「加害者」として認知されるようになったのです。
■イスラエルとパレスチナの関係(~現代)
①和平への希望
1993年、アメリカとノルウェーの仲介により、イスラエルとパレスチナの間にオスロ合意が交わされます。
これにより、パレスチナ暫定自治区が認められます。
この合意から和平が期待されていたものの、これは長くは続かず、今でも断続的に紛争が続いています。
②ハマスの台頭

/https://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-11-11/2009111106_01_1.html
パレスチナではハマス合意後、和平派の主導者が実権を握ってきましたが、2006年の議会選挙でとある組織に敗北します。
それが「ハマス」です。
「ハマス」とは、ガザ地区を中心にパレスチナの解放を訴えている集団です。
彼らは2007年からガザ地区を独自に支配していきます。
その一方で、ヨルダン川西岸では依然として和平派である「ファタハ」が統治をしています。
つまりイスラエルに対して反抗する勢力と和平をしようという勢力が二分化してしまっているのです。
これがより一層、イスラエルとパレスチナの問題を難しくしていると言えるでしょう。
■社会に問われるのは
イスラエルにもパレスチナの双方が相手対する憎しみもあれば、譲れない正義もあるでしょう。
どちらか一方が良い、悪いと断ずることができるほどこの問題は簡単ではありません。
大きな戦争が起こるたびにその惨状が報道されますが、これを解決するにはその源から絶たなければなりないでしょう。
そして国際社会にその問題の発端と原因があるのは間違いありません。
彼等は彼ら自身でその責任を全うし、この問題に真摯に向き合うべきだと私は感じます。
この問題が一日でも早く解決されることを願ってはやみません。
参考
NHK[https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/jiji/jiji97/]
外務省「https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/israel/index.html」
academyhills「https://www.academyhills.com/note/opinion/12091006ArabIkegami.html」
BBC NEWS「https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-6706903」
Reuters「https://jp.reuters.com/world/us/HFREMHR7RVMZXMK52OOA5O4SBM-2024-10-09/」
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